Omamelog

Daily life of mother of autistic child

- Daily life of mother of autistic child -

水を得た魚から、水を奪おうとしていた

ひょんなことから、古いスマホにマイクラのアプリを入れて渡してみた。

あっという間に操作方法を覚え、あっという間に自分でなんでも造れるようになった。

 

もともと、YouTubeでマイクラの動画を見るのが好きだった。

年明け1月頃から、夫のパソコンで一緒にマイクラをはじめ、YouTubeで得た知識を爆発させた。

パソコンの操作はできないため、夫が操作しているのを横から見ているだけだったが、その熱中ぶりはすさまじかった。

 

満を持してマイクラをインストールしたスマホを受け取った長男は、まさに水を得た魚だった。

これまでにインプットした知識を、思う存分にアウトプットする姿には誇らしさすら感じる。

 

No Life,No Minecraft.

私たちの生活は、マイクラに染まり始めた。

 

マイクラを与えたことに、全く後悔はしていない。

これまで以上に笑顔が増え、これまで以上に言葉が増えた。

生きる力がみなぎっているようにも感じる。

 

まだ6年に足りない時間しか生きていないけれど、こんなにもイキイキとしている長男を見るのは初めてかもしれない。

 

好きの力って、偉大だ。

 

もちろん、首をかしげてしまうこともある。

マイクラへのリソースを割きすぎて、それ以外のことが疎かになりがちだ。

放っておけば水分もとらず、食事もしないような生活になるのが目に見える。

 

もともとYouTubeなど動画を見る際に、1回30分をタイマーで管理していた。

その延長戦で、マイクラをする際も1回30分、1日合計2時間くらいに収まるように調整。

 

生活リズムを乱さないように、母親として子どもを健やかに育てなければと力が入りすぎていたのかもしれないが、すべて長男のためだった。

 

 

 

タイマーが鳴っていることに気づいていないのか、気づいているけど無視しているのか。

何度「おしまい」と声をかけても、過集中の長男には届かない。

 

沸点を超える頃にやっと、長男に一度目の「おしまい」が届く。私にとっては何度目かの。

 

「ルールを守れないなら、マイクラなしにするよ」

脅し文句が、子育てにいい影響がないことなどわかっている。

それでもついこの言葉が出てしまうのだから、子どもを育てるためにどれほどの忍耐が必要なのか。

 

タイマーが鳴る、声をかける、届かない。

何度か繰り返して、いい加減にしなさい!と怒ると、やっとこちらに目を向ける。

満たされていない長男は、数分も経たぬ間「やりたい!!」と癇癪を起こす。

 

ルールを破られてばかりだと感じている私からすると、ただのわがままにしか映らない。

マイクラを始めると、少し重くなったモヤが私たちを取り囲む。なんだか居心地が悪い。

 

そんなことが数日繰り返され、守れない約束を一方的に課しているのは私だということに気がついた。

 

水を奪われた魚が暴れるのは、生きるためだ。

今の長男にとってマイクラは生き甲斐なのだから、奪うべきではない。

 

仲間たちの意見を参考に、一度好きなだけやらせてみた。

癇癪は起きず、すんなりと終えられるようになった。

それ以上に嬉しかったことは、「これを造った。ここがまだできてないから、また明日続きをする」と、自ら教えてくれるようになったことだ。

 

やっぱり、好きの力は偉大だ。

 

長男のことを考えて、長男のためにしていたことは、決して長男のためにはなっていなかった。

私は未来の長男を想像してばかりで、今の長男を見れていなかったのだ。

 

将来に向かって戦略的に選ぶというよりは、今楽しめるもののほうが、笑顔の時間が増えたり、自信がついたりといった、自閉症児にとって喫緊の課題に対する効果が大きそうです。

著・岡嶋裕史「大学教授、発達障害の子を育てる」

文脈は違えど、この言葉が頭をよぎる。

 

子どもの好きを育むことが、これほど難しく、これほどにも大切なことなのか。

身をもって感じた私は、子どもたちに教えられながらマイクラを始めた。

 

1日60分、一緒にマイクラをする。

「今日は、〇〇をつくろう」と長男がテーマを決め、それぞれ思い思いのものを造る。

互いが造ったものを見せ合い、褒め合い、補い合うことで、親子を超えた新しい関係性がそこに生まれた。

 

60分なんてあっという間だ。全然足りない。もっとしたい。経験したからこそ、子どもたちの気持ちが十分に理解できた。

やりもしないくせに、勝手にルールを決めて押し付け、私は一体何様のつもりだったのだろうか。

 

子どもたちの目線で、子どもたちを見ているつもりだったけれど、それはいつの間にか本当の「つもり」になってしまっていた。

 

自分の経験や価値観、偏見が、「つもり」を幾重にも重ねてしまう。

重ねられた隙間からは、見たいものを思うように見えなくなる。

「つもり」から生まれる成功体験は、ない。

 

 

再び水を得た長男は、穏やかに、朗らかに、泳ぎ始めた。

 

 

おまめ