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Daily life of mother of autistic child

- Daily life of mother of autistic child -

愛の連鎖のはじまりを

人生の教訓のように「反面教師」を唱えながら生きてきた。

 

「ああなりたい」よりも、

「こうなりたくない」が染みついた生き方は

満たされた感覚を得られにくい。

 

いつも不安が隣にいて、幸せを感じることを阻まれる。

 

子育てに関しても、「こう育てたい」というより、

「こんな育て方はしたくない」という排他的な考えの方が強い。

 

長男が自閉スペクトラム症と診断されたことで

子どもたちと向き合うことが迫られ、

自分の「したくない」よりも、

子どもたちの「したい」を大切にできるようになってきた。

 

 

子どもたちの「したい」に向き合うには、

自分の「してほしかったこと」に向き合わなければならない。

 

まるで呪縛のように絡みついた「反面教師」の皮を

一枚ずつ剥いでいく作業は、ときに痛みを伴う。

 

 

「愛着」

 

この言葉を知った日から、

自分の育てられ方・育ち方を振り返ることが増えた。

 

母が一体私をどう育てたのかをずっと考え続けているが、

いまだに彼女の気持ちは一つも分からない。

 

母がどんな顔をして、どんな言葉をかけて

私を育ててくれたのか、何一つ思い出せない。

 

確かに母に育てられたのに、母に育てられた感覚がないのだ。

 

 

断片的に残る記憶の中の母は、いつも私に背を向けている。

 

 

親子とは言えども、所詮は別の人間である。

 

血がつながっていようが、つながっていなかろうが、

別々の意思を持った人間なのだから、分かり合えないことがあって当然だ。

 

私たち親子は、その必然さを超えて、

分かり合えないまま、ここまできてしまった。

 

 

自分の育ちを振り返る中で、安心を感じていた瞬間はあったのだろうか。

 

誰かに愛されていると思えた日は、あったのだろうか。

 

どれも、記憶にない。

 

誰といても、どこにいても、今この瞬間までも、ずっと孤独を感じている。

 

「誰かに、自分のことを理解してもらえるとは思えない」

思春期を遥か昔に終えた今でも、そんなことを真剣に思う。

 

誰にも心の内を話せず、そもそも自分が何を感じ、考えているのかもわからない。

自分を含めた”人間”に対して常に疑心暗鬼で、交友関係も浅く、細い。

 

周囲からの評価は「誰とでも仲良くなれる」だったが、

「誰とも仲良くなれない」が正しかった。

 

 

愛着の課題は、親子間だけの問題ではなく他者との関わりにも影響し、

幼少期の課題だけでは済まされず、生きていく上で永遠に付きまとう。

 

 

大人になり親になった今も、人との、子どもとの向き合い方が分からない。

 

しかし、投げ出すわけにもいかず、

育てているのか、育てられているのか

子どもたちに助けられながら、なんとか母親をやっている。

 

子どもたちとぶつかるたびに、自分の育ちを批判したくなる。

不安定な自分に嫌悪感を抱く度に、母を憎みたくなる。

 

呪文のように「反面教師」を唱えて、奮い立たせる。

 

いつか、どこかで書いた「愛は連鎖する」という言葉が身に染みる。

 

 

昨日、私が落ち込んでいたら

長男がそっと抱きしめて、頬にキスをしてくれた。

 

「ママのこと、大好きだよ」

 

それ以上も、それ以下もない、まっすぐな言葉が心に染み入る。

 

”正しい子育て”の仕方は、分からない。

だけど、分からないなりに「大好きだよ」と抱きしめ、頬にキスをする。

 

私が伝えられる愛はないと思っていたけれど、

愛されなかったから、愛せないのではないのだと、

長男が気づかせてくれた。

 

 

はじめは一本の細い糸でも、絡まりながら、交わりながら

強く、太く、長くなっていく。

 

今この手にあるものは、愛の連鎖のはじまりなのかもしれない。

 

 

おまめ