Omamelog

Daily life of mother of autistic child

- Daily life of mother of autistic child -

4歳次男の何気ない一言が、チクりと心を刺した

ある日の朝、仕事に行く夫が「パパ行ってくるね〜」と息子たちに声をかけた。

 

いつものように、長男は「パパ、行ってきまーす」と応じる。

現在5歳の長男は、自閉スペクトラム症という発達障害の一つを抱えており、知的発達も少しゆっくりで、言葉の使い方はまだ3歳児くらいだ。

 

「行ってきます」「行ってらっしゃい」

「ただいま」「おかえり」

 

主客の入れ替わる言葉は、場面としては使えるのだが、どちらの立場でどちらの言葉を使うのかまでは扱いきれない。

 

私が買い物から帰ってきたら、長男は「ママ〜、ただいま〜」と迎えてくれる。

 

私が「ただいま。長男は、おかえりだよ」と返すと、「ママ、ただいま。(長男)、おかえり」と返ってくる。

 

今の生活に支障がある訳ではないので、今はこの愛くるしいやりとりがいつまで続くのか楽しむことにしている。

 

そんな長男の「パパ、行ってきます」の後に、次男が「ジージ、行ってらっしゃい」と続けた。

 

 

次男は、現在4歳。

コロナの影響を1歳からの幼児期にモロに受けたため、一時期、社会性や言葉の発達に遅れを感じていた。

あちこちに相談に駆けまわり、現在は発達の遅れは気にならない程度にまで成長した。

 

主客の入れ替わりも理解している。

ちょっとした冗談も交わせる。

 

お調子者でおふざけが大好きな性格を、父親からしっかり受け継いだ次男は、時々、笑いを提供してくれる。

 

いつものように、パパとやり取りを楽しむために「ジージ」と言った。

 

案の定、夫は「だ〜れが!ジージだ〜!」と笑って応えた。

その反応に、次男は大はしゃぎ。

 

他愛無いひとときに、慌ただしい朝の時間が少しほころぶ。

 

 

夫と次男が戯れあっている間、何気ない言葉は、角度を変えて私の心をチクりと刺した。

 

 

まるで息をするかの如く、さも当然かのように、夫はジージに、私はバーバになると思っていた。

 

わざわざ、そのことを言葉にして、意識することもないほどに、それはレールの先に用意されている、必然のイベントだった。

 

 

その必然だったはずのイベントは、長男が3歳前に自閉スペクトラム症と診断されたことで姿を消した。

 

 

突然の人生の閉幕。「お先真っ暗」とはこういうことか。

 

 

私は、いい家庭環境で育ってこなかった。気薄な人間関係の中で、生きてきた。

 

そのため、人一倍「家族」への憧れを強く抱いている。

 

夫と結婚し、長男を授かり、マイホームを建て、やっと“家族“になれる。

小さな希望は日に日に大きく膨らんでいった。

 

長男の障害診断は、いとも簡単に私の希望を絶望に塗り替えた。

 

 

 

子どもと一緒にしたいこと、行きたい場所、夢や理想は、するすると手のひらからこぼれ落ちていった。

 

思い描いていた未来は、きっとこない。

 

 

 

今でこそ、子どもの将来に親の期待は邪魔なだけだと思えるようになったが、当時の私は、誰よりも“普通の家族“を渇望していた。

 

“普通の家族“を諦めなければならない事実は、到底受け入れられなかった。

 

多くを望んでいる訳ではない、ただ”普通”になりたい。

ただ、それだけの願いすら、叶わないのか、と。

 

 

今の時代、結婚や子どもを授かることを選ばない人は増えている。

もはや、“普通の人生“なんてものは存在しない。”普通”なんて言葉は、ナンセンスだ。

 

それでも、私は”世間一般的”な”普通の家族”になりたかった。

 

 

 

まだ息子たちは、4歳と5歳。

 

「孫をこの手に」なんてことは、遠い遠い未来のこと。

 

たとえ、長男に障害がなくても叶わなかった未来かもしれない。未来なんてものは、保証されているわけではないし、子どもの将来は親にも決められない。

 

どんな未来が待っているかなんて、誰にもわからない。

 

 

手放したと思っていたはずの願いは、まだ心の奥底に眠っていた。

 

それが、次男の言葉によって、掘り出されてしまった。

 

もう見ない振りはできない。その気持ちと向き合い、今度こそ、手放そう。

 

 

おまめ